長崎平和使節団派遣報告

8月10日、午後10時15分より、羽田空港にて「長崎平和使節団」の閉会式が行われました。

私は千代田区議会の派遣議員として、その場でご挨拶を申し上げましたので、その内容をご報告いたします。

■ 大雨とともに始まった旅

今回の派遣は、出発から大雨に見舞われる幕開けとなりました。
そして8月9日午前11時2分――長崎市では、その時刻が持つ深い意味を胸に刻みながら、私たちは「原爆犠牲者慰霊平和式典」に参列いたしました。
式典会場へ向かう坂道には、まるで滝のような雨が流れ落ちていました。足元を一歩ずつ確かめながら進む中で、胸は自然と熱くなり、言葉では言い尽くせない感情がこみ上げてきました。
その雨は、80年前の原爆の日、のどの渇きに苦しみながら水を求めて息絶えた方々の切なる想いに寄り添っているかのようで、まさに天から降る鎮魂の涙のように感じられました。

■ 「長崎を最後の被爆地に」―平和宣言の祈り

式典では、長崎市長が平和宣言を読み上げられました。
その中には、「長崎を、人類が経験する最後の被爆地とする」という決意が力強く述べられていました。
これは「二度と核兵器による惨禍を繰り返させない」という誓いであり、被爆者の方々の深い願いです。
長崎が最後の被爆地であってほしい――そのためには、核兵器の廃絶と、戦争のない世界を目指す努力を、今を生きる私たち一人ひとりが続けていかねばなりません。
この言葉を聞いたとき、私は「私たちの世代がその責任を引き継がなければならない」と強く感じました。

■ 永井隆記念館で学んだこと

今回訪れた永井隆記念館は、現在は図書館として開放され、多くの人々に利用されています。
永井隆先生は、被爆により重い放射線障害を負いながらも、医師として最後まで被爆者の治療と救援に尽力されました。
また、ご自身の被爆体験をもとに著作を執筆し、そのすべての印税を平和事業に寄付された方です。47歳という若さで生涯を閉じられましたが、その献身的な生き方と信念は、今も多くの人の心に生き続けています。
知れば知るほど、その人生に深い敬意を抱かずにはいられませんでした。

■ 共に歩んだ仲間たちへ

今回の旅をご一緒した10名の皆さま、特に7名の生徒・児童の皆さんに、心より感謝申し上げます。
皆さんのお名前とお顔を、一人ひとりはっきりと覚えることができたことは、私にとって大きな喜びであり、忘れられない思い出です。どうか今回の経験を、千代田区の未来のため、そして多くの方々に伝えてください。
まずはご家族に、そして身近な方に、長崎で見たこと・感じたことを話していただければ幸いです。
また、千代田区のこれからについてのご意見やご要望がありましたら、ぜひお寄せください。皆さまの声を真摯に受け止め、より良いまちづくりに活かしてまいります。本当にありがとうございました。